2.木造とは
―広葉樹で家をつくるということ。 何百年と生きる家―
「 岡町の家」のファサードは、1階の高さまで基礎が立ち上がったようなコンクリートの壁の上に、深みのある色の大きな木の柱が並んで立ち上がる。
前面道路を歩きながら見ていくと、その表情が変わっていく。
太さの異なる濃いこげ茶の木の柱と朱色の薄い板が交互に並んでいて、そこに当たる光と木の色のコントラストが、見る角度によってどんどん変化していくのである。
一体この太い柱は何なのだろう・・・。
その疑問がずっと張り付いてくる。
この構造は何なのか。
これは本当に家なのか。
「岡町の家」は次々と私に問いを投げかけてくる。
初めて見る“木造らしきもの”に、衝撃を受けた。
「木造らしきもの」と言うのは、一般的な木造の構法とは明らかに違うからである。
一般的な日本の住宅では基礎の上に土台が、その上に100mm角程度の柱と
梁や桁などの横架材によって構成される軸組を主体とする構造があり、
その上に屋根を支える小屋組という架構が乗る。
その柱は、主に白木としてよく目にするヒノキやスギなどの針葉樹であり、
日本に多く生息するものである。そして特に重要な部分の柱だけに広葉樹を使う。
なぜなら広葉樹は針葉樹に比べ硬くて重いため、細工がしにくいからである。
ところが「岡町の家」は、その広葉樹を躯体になる列柱や梁、
そして天井や内壁にまでも使っている。
この広葉樹は世界の樹木を扱う材木屋がアフリカから取り寄せたもので、
長い時間じっくりと乾燥させておいたものである。
ベニシタン(鮮やかな赤色)
クリガシ
タガヤサン(白黒の縞模様で世界三銘木のひとつ。石の代わりに使われるほど硬い)
シマケヤキ(黄みのある茶色の縞模様)
シマダモ(白みに黒い縞模様)
・・・などの20種類ほどにも及ぶ木を色とりどりに並べていく。
唯一の日本の木材として肥マツを洗面所の壁に使用していた。
(薄桃色から飴色の木で板目・杢が美しく、日を経てゆくにつれて油が滲み出て飴色となり、深みを増す。)
現在の木造建築で使われる木材は、施工の問題や土地への順応性などの点から、
簡単で効率の良い建築構法の開発により、市場に広く出回る規格の寸法や
標準寸法に裁断された資材がほとんどである。
一方、「岡町の家」では広葉樹材の節や杢、ひび割れもあえて残し、裁ち屑を
出さないように製材所にあった時のままの寸法で使用されている。
そのため、日本の木造には見られないような断面の大きな構造となり、
広葉樹の鉄のように硬くて重い性質からも、その存在感は迫力に満ちている。
そしてその迫力をさらに強くしているのは、木の色である。
木そのものが赤や黄や茶色などの鮮やかな色見をもっており、
そこに当たる光は木の色も含んで反射するのだ。
このような広葉樹で家をつくるということには、それだけの苦労があった。
加工するにも組むにも力が要る。
職人たちの体も道具もこの木には勝てない。道具を何度も欠く。
針葉樹ならば裁断すると木片が飛ぶのであるが、広葉樹を裁断すると
真っ赤な木の粉が現場中を舞い上がるのである。
木がこれほど硬いとは…、木がこれほど鮮やかな色をもっているとは…、
とこちらは感動しているのであるが、職人たちはそれどころではない。
なかなか歯が立たない木を相手に、巧みな加工をしなくてはならないのである。
粉まみれになりながら裁断し、手では持ち上がらない柱や梁をクレーンで持ち上げ、
組む時は大きな木槌で渾身の力を込めて叩き込まなければならない。
こんな苦労は他の木造家屋建築では経験しないだろう。
日本の伝統木造建築の伊勢神宮では針葉樹が使われ、白木に黒や朱の漆や
腐る手前の柿渋などで色を出すのであるが、これは20年という短いスパンで
建替えを繰り返し、人々が手を加えて繋いできた日本固有の伝統という文化の
在り方である。
それに対してこの「岡町の家」で使われているアフリカの過酷な環境で育った
広葉樹。
その木のもつ生命力は人の生命をはるかに超えた強さと深さを感じさせる。
それは、家そのものが何十年何百年と生き続けていくことを予感させる。
それだけの木を使い、職人たちを苦しめながらできていく「岡町の家」から
何が見えてくるだろうか。
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