  建築家のコラム
『家づくりの会 連載コラム』
006 大学時代に出会ったアールトの建築から考えること その1
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本間至/ブライシュティフト |
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大学の建築学科に入学し勉強を始めると、様々な科目の中に建築の歴史を勉強する建築史なる科目があり、
日本建築史、世界建築史、近代建築史と洋の東西を問わず勉強させられることとなる。
私は、中学生の頃から歴史には興味があり、建築史の授業には割と抵抗なく入っていくことができた。
そんな中で、フランク・ロイド・ライトを皮切りにミース、カーン、アールトと
近代建築の巨匠たちを一巡し(なぜだかコルビュジェには興味を示さなかった)、
特にアールトを意識するようになったのは、今から26年ほど前の大学2〜3年生の頃だったように記憶している。
私の好きな彼の作品は、ココネン邸を除けば、
彼のデビュー作といってよいパイミオのサナトリウムあたりからオタニエミの工科大学までの中に集中し、
その中でも特に興味を引いたのが、後述するセイナッツァロの役場だった。
このセイナッツァロの役場はアールトの戦後の活動の出発点を飾るもので、
彼の1950年代の活動に対して、重要な意味を持つとされている。
建築のいろはも理解していない大学2年生当時に、一見とても地味に見える、
このセイナッツァロの役場の、何に魅力を感じていたのか、この機会に改めて考えてみると、
それは一言でいうならばヒューマンなスケールで構成された美しさ、その一点に尽きるように思える。
そして、この役場に魅せられて20数年後、今から3年前に、念願かなってこの建築に身を置くことができ、
20数年間もどこに魅力を感じ続けてきたのか、実物を前にし、この建築の魅力の様々な部分が新たに見えてきた。
よくある話ではあるが、写真で見ているときは美しく見えるが、実際に見てみると、
期待を裏切られる建築がよくある。このセイナッツァロの役場は、まさにその逆で、
写真では感じることができない空間の心地よい流れを、身体で感じることができ、
ヒューマンなスケールで構成された美しさの本質が何であるのか、
建築に携わっている者として理解できたように思える。
それは、全体の構成とディテール処理(特に異種素材の出会いの場面において)のせめぎあい、
そして、その過程において決定される各部の絶妙な寸法関係によって作られていることを、
改めて実物から思い知らされることともなった。
(つづく)
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